ノスタルジー

 ナイコン族時代、手元にUNIXが動くマシンはなかったが、UNIXに関する記事や書物は豊富にあった。

 今となっては当たり前過ぎて定義が曖昧になってしまっているが、ファイルの概念は新鮮で、シンプルな抽象化の美しさに気づかされた。

 ソニーのNewsとか、オムロンのLunaとか、国産のUNIXワークステーションも発売されたが、個人が趣味で使うようなものではなかった。何より、今のようなインターネット環境が整っていなかった。その時代に、素のOSから、実用に足りる環境を趣味レベルで個人で作り出すのは、不可能な事だった。

 手元のOS-9/68000も自己満足の範囲で、好奇心を満たすだけの存在に終わった。

 

 その内、勤め先にもPCが導入された。導入されたのはIBM5550。否応なしに日本語PC-DOSを使わざるを得なくなった。

 OAの世界では、OSがどうのこうのよりも、アプリの出来が全てだ。要するに日本語ワープロ表計算ソフトさえ走ればよい。いろんな事ができるシステムより、決まった事しかできないシステムの方が、組織で使う場合は都合がよい。

 

 最初に買ったWindowsマシンはPS/55Note。モノクロディスプレイだったが、初めてのGUI経験だった。

 この頃から、Microsoftの快進撃が始まった。この数年前には、大阪の上新電機に客集めの為にビル・ゲイツが来たりしていた。

 Windows NTが発表された時、もうUNIXはいいかなと思った。Alpha版のNTが発表にあわせて、DECから100万円のワークステーションが発売された。

 DECは、あのPDP-11の会社だ。NTの開発者ディビッド・カトラーはDECでVMSを開発した人物だ。「闘うプログラマー」も読んだ。これは買うしかない。清水の舞台から飛び降りる気持ちで申し込んだのだが、個人から発注は相手にしなかったのか、何の音沙汰も返ってこなかった。何ていう会社だと思ったのだが、クレームを入れてまで100万円の買い物をする気にはなれなかった。結局、MSDNに入会して、PCでNTを走らせて納得していた。

 自宅で使っていたのは、IBM PC365。業務用のマシンでかなり高価な機械だったが、型遅れになり、店頭で安売りされていた。バンドルされていたのは、NT3.51で一般受けしなかったのだろう。BEKKOAMEでインターネットに繋いだような気がするが、modemだったかISDNだったか記憶が定かではない。

 たぶん押し入れの中に残っている。壊れた記憶はないので、OSを入れ替えれば使えるかもしれないが、何せCPUはPentium pro 200MHzだ。

 

 PS/55ノートを買った頃、勤め先では、まだDOSを使っていた。業務用のアプリはマルチプラン。通常は紙にアウトプットされたデータを手作業で入力という原始的な作業。

 一応、ホストDBのデータをCSVでダウンロードするという方法もあったのだが、使える人間はあまりいなかった。今思うと嘘みたいだが、ほんの20年ほど前の話だ。

 当初はマルチプランのマクロを使ったりしていたのだが、どうせ最終的には紙で配るのだからと、TurboPascalで業務用のプログラムを書いてみたら、これが意外に実用的で、それまで丸一日以上かかっていた作業が30分で終わった。このプログラムは社内にWindowが導入されるまで活躍した。

 のどかな時代で、事務用のPCに開発システムをインストールしたり、社内ネットワークに私物の携帯PCをつないでも問題にさえならなかった。

 この部署には10年以上いた。なんで異動しないのかなと思っていたら、先に転任する上司が送別会の時、「お前は便利だったから、異動の話は全部潰した」と言っていた。

 

 SUNやDECがダメになって、Microsoftが残った理由はそのスピードだ。時代に乗れたか乗れなかったかは結果論でしかない。

 Windowsは薄利多売で改版が早かった。しかも素人ユーザー相手の商売を躊躇わなかった。だからインターネット普及の波に乗れたし、逆にWindows95がタイムリーに発売されなかったら、ここまでインターネットは一般化しなかっただろう。

 WIndowsがバージョンアップすると、ハードが追いつかなくなる。新しいデバイスを使う為にはWindowsをバージョンアップしないと使えないというカラクリが業界を引っ張ってきた。

 反面、WIndowsは使い捨ての感がある。バージョンが変わるとルックアンドフィールが変わる。アプリへの対応が変わる。開発環境が変わる。商業製品なので、営業的な意味合いで、買い替えの動機付けの為に派手な改変をせざるを得ない。バージョンアップで、せっかく培った知識やスキルをも使い捨てにするのには抵抗がある。

 特に、7から8へのバージョンアップは迷走以外の何物でもなかった。10がどうなったかは知らない。ハードウェアにしても、ここまで進化したら、もう十分だろう。壊れない限り、積極的に買い換える必要は感じない。

  PC草創期、個人レベルでも容易に入手できるBASICやMD-DOSを発売し、ハードウェアの進化に伴って、業界をリードしてきたMicrosoftの貢献は大きい。ただ時々嫌になった事があるし、今からまた追いかけ直すのはつらいかなといったところだ。

 

 社会人の最後の10年ちょっとは、社内向の情報系サーバーの開発と維持管理みたいな仕事をしていた。大手のIT業者を入れていたので、自分でシステムレベルのコーディングを行うという事はなかったし、そういう時代でもなかった。最後は全面的にアウトソーシングという事でお役ご免となった。どうやって幕引きしようかと思っていたので、ガッカリ半分、ホッとした気持ちが半分だった。

 

 中学生の時、技術科の授業で、ラジオの組み立てというのがあった。キットを組み立てるだけだったが、興味を持って「NHKラジオ技術教科書」買ってきて読んだ。今でも改版されて売られているらしいのがNHKらしい。スーパーヘテロダインとかプッシュプル回路だとか懐かしいコトバを思い出す。

 真空管時代のラジオは自分で部品を集めて作るもので、壊れたら自分で直すのが当たり前だったらしい。子供の頃、電気街に行くと、エアバリコンが現役で売られていた。ラジオの製作がハイカラな趣味だった時代があったのだ。

 ラジオの製作がオーディオアンプの製作になり、コンピュータになっただけの話だ。

 

 今、日常で使うラジオを自分で作るのは、かなりニッチな趣味だ。ラジオやオーディオ製品は、電気屋で完成品を買ってくるのが当たり前。一般化されれば大量生産され、コストも安くなる。

 パソコンの自作も一時流行ったが、普通に使うぶんには、完成品を買った方が安いし、無駄がない。Windowsはパソコンにバンドルされている。今やパソコンは文房具であり電化製品に過ぎない。実用性があるので、これからもWindowsは使っていくが、玩具として、好奇心がそそられる対象ではない。

 

 それで、何で今更、FreeBSDなのかというと、結局はノスタルジーなのだと思う。386BSD時代から、折に触れて、中途半端ながらもFreeBSDには関心を持ってきた。インストール画面は、昔からそんなに変わっていない。懐かしいし、当時の事を思い出す。

 

 FreeBSDは、目に見えて大きく変わらないのが良い。だからといって、古いだけのOSではない。着実にバージョンアップを重ね、現在は10.3がステーブル、近いうちに11.0がリリースされる。

 一時話題になった「伽藍とバザール」で、どちらかとえば伽藍側。同じオープンソフトでも、Linuxエンタープライズなイメージ強かったのに対して、アカデミックなイメージが強かった。

 後発のLinuxが何でもありで、どんどん盛り上がっていったのに対し、地味で着実な存在であり続けた。おかげで、Javaへの対応が遅れたのは愛嬌だろう。

 Linuxほどの盛り上がりはなかったものの、長期間にわたって、開発の一貫性と連続性が維持されているのは立派だと思う。