趣味をリブートする

 UNIXがいつか一般ユーザーのところまで降りてくる事を願っていた。

 BSDとSystemⅤが競い合っていた時代だ。

 386BSDリリースのニュースは、ほぼリアルタイムで知った。

 まだバグだらけで、動かすの苦労するという評判だった。

 そのうち、特許係争に巻き込まれ、プロジェクトは解消され、本家UNIXの方も、一般ユーザーに降りてくる事なく、先細りになっていった。

 

 386BSDの後継が、NetBSDFreeBSDになる。またLinuxプロジェクトもこの頃始まった。

 NetBSD/FreeBSDLinuxの相違は、NetBSD/FreeBSDがレガシーなUNIXからライセンス上問題となる部分を排除して作り直したものであるのに対して、Linuxはスクラッチから作られたカーネルをコアとして進められたプロジェクトであるという事。

 他にGNUHurdというプロジェクトがあるが、慎重過ぎて、開発は遅々たるものだった。そして、この状況の中で話題になった文書が「伽藍とバザール」だ。

 

 結局、この時点で、UNIXは既にベル研で生まれた小さくてシンプルなオペレーションシステムではなくなってしまっていた。中途半端な一企業や個人レベルでは手に負えなくないシステムに成長してしまっていた。

 

 FreeBSDの記事は雑誌で読んでいた。技術評論社が昔から熱心に取り組んでいる。何度か雑誌の付録でリリースを入手し、自分のPCにインストールしてみた。FreeBSDだけではなくLinuxもインストールした。

 いずれも、インストールして立ち上げて納得しただけだったが、FreeBSDだけは、ある期間デスクトップPCにインストールしてインターネット閲覧用に使っていた。どのマシンにどのリリースを立ち上げたのか記憶が曖昧だ。

 地方から東京に転勤してのドサクサ時だったと思う。ベアボーンで買ってきたi810かi815のマシンにWindowsを買うのが阿呆らしくて、FreeBSDを導入したのだと思う。年代からすれば、リリース3くらいだろう。

 

 東京に異動してからの仕事はイントラ用の既存サーバーの改善、置き換え、開発、維持管理になった。

 それまでコンピュータは趣味で、趣味を仕事に持ち込んだレベルだった。まぁ、手作業がデフォルトの原始的な職場に、カスタムプログラムを持ち込み、開発した本人が作業するのだがら、一旦プログラムを組んでしまえば、時間が余った。余った時間にプログラムを改善したり拡張したら、Pascalで書いたソースリストが2万行を超えていた。

 プログラムを書くのは、暇潰しだったので、特にストレスはなかった。

 ところが、それが仕事だと云われれば、そうはいかない。やはり、趣味と仕事と学習は別物だ。趣味にしても仕事にしても学習は必要だが、趣味の為の仕事と仕事の為の学習は異なる。趣味の場合は学習と趣味の境界が曖昧だが、仕事の場合、仕事は仕事、学習は学習だ。

 結局、コンピュータを趣味として見れなくなってしまった。自宅に帰ってまで、システムの設定ファイルをいじりたくなかった。

 

 仕事を辞めてから、2年以上散歩と昼寝を趣味にしてきた。そろそろいいかなと思う。新しい趣味を始めるよりは、今までの趣味を復活させた方がいい。

 

 で、現在に至る。

 

 自身のスペック

  • コンピュータとの出会いは、社会人になって2年目。営業職時代。
  • 初めて購入したマシンは、Epson HC-20。BASICを覚えた。
  • 初めて使ったパソコンはFM16β。MS-DOSOS-9/68000。このマシンでパソコン通信にはまった。(個人BBS, CompuServe, Nifty-Serve
  • TurboPascalをいじり始める。(LSI Cは挫折)
  • 初めてのインターネットはBEKKOAME経由。MosaicNetscapeになった頃。
  • TurboPascalで業務用プログラムを作成し、実稼動させる。
  • TurboPascalからDelphiに移行。(VIsual C++は挫折)
  • 業務として勤務先の社内システム開発と維持管理に関わる。(10年間)
  • 退職、引きこもり中。
  • 大切な事は曖昧にしか知らないが、どうでもいい事は沢山知っていた。但し、それも記憶が曖昧になりつつある。

 とりあえず、現在のFreeBSDは往年の本家UNIXを軽く凌駕している。ノスタルジックに操作を楽しむだけなら、十分過ぎる。幸い、高齢者がボケても、不思議にパソコンの操作はできるそうだ。

 

 趣味としてのコンピュータをリブートする。さぁ靴紐を結び直そう。